礼拝説教 要約と音声


礼拝説教の要約をご紹介しています。Youtubeチャンネルにて動画も配信しています。

2024年7月21日

ふさわしい礼拝

ローマ12章1-2節 

 

7/7の礼拝でエペソ書から、私たちが教会全体として一人の大人のように成熟すべきことを教えられました。信仰と知識において一致し、惑わされずに愛をもって真理を語ることで成長するのです。そして、一つとなることを教えているもう一つの箇所がこのローマ12章です。

その前提は、神のあわれみによって主イエスが、私たちのために命を捨ててまで救って下さった事実です。その恵みに答えたいという思いのゆえに、私たちは自分自身を神へのささげ物として、生涯ささげ続けるのです。

けがれや罪から離れて聖なるささげ物であり続けるために、この世の価値観や考え方に迎合しないことが必須です。しかし私たちはつい罪に惹かれるので、神によって自分を変えていただかなければなりません。そうして初めて、私たちは神のみこころを知り、どのように生きればいいのかを見分けることができるようになります。

そのような生き方を、1日とか1週間ではなく、天の御国に行く日までずっと続けるのです。それこそが私たちの礼拝なのです。日曜日に1時間だけささげるこの礼拝ではなく、私たちの生き方が礼拝になること。それを神は望んでおられ、その生き方が本当に深い喜びをもたらします。この喜びを経験させていただきましょう。


2024年7月14日

最後まで耐え忍ぶ

マルコ13章9-13節

 

世の終わりの時としるしをたずねた4人の弟子に対して、主イエスは今日の箇所で2つ目のしるしを語られます。それは、迫害です。

裁判にかけられ、打ちたたかれ、総督や王たちの前に立たされると言われます。しかしそれが、迫害に苦しむと言うだけにとどまらず、逆に福音と救いを証しする機会となると言われます。逆境が実は福音を伝えるチャンスとなるのです。

私たちは、逆境に陥ると何とかやり過ごすことしか考えられないかも知れません。しかし、逆境が文字通りチャンスなのです。しかも、その時に語るべきことは、聖霊なる神が与えてくれる。話される主体は聖霊なのだと励まされます。

迫害が家族にも争いをもたらすとも語られます。さらに恐ろしい状況です。しかしそれも恐れるに足りません。最後まで主を証しし続けるなら、救われるのです。これは、安全や命が守られるという事とは違うでしょう。たとえ命を失うことがあったとしても、神の救いをいただくことができる。死をも恐れずに済むなら、怖いものはありません。私たちの価値観が変わるようにと、励まされているのです。


2024年7月7日

成長する

エペソ4章11-16節

 

教会の建物の完成に向けて、私たち自身もキリストの体として建て上げられて行く事が必要ですが、その事を教えているのが今日の聖書箇所です。

パウロは教会に集う一人一人をキリストのからだと呼び、そのからだ=教会そのものが建て上げられるためにキリストご自身が教職者を任命されたと語ります。

成長とは何かというと、キリストに対する信仰と知識という点で一つになる事、教会の人々がまるで一人の人のように一致し成熟する事、それはキリストの姿でもあります。逆に霊的な子どもは間違った教えに翻弄され、一致とは逆のバラバラになります。教会の一致を乱す教えは、悪巧みや悪賢い策略から出ています。一見聖書を引用しているようでも、聖書全体のメッセージとは違う事を主張するのです。

そうではなくて、「愛をもって真理を語る」ことが成熟のしるしです。怒りによって責めるのではなく、愛によって語るのです。そして一部でなくあらゆる点において、キリストに向かって成長できるのです。そうするなら、一人一人がキリストによって、体が節々で組み合わされているように一つとされ、各々が持ち場に応じて働くことで成長し、愛の内に一つに建てられて行きます。このように成長させていただきましょう。